鴨長明『方丈記』原文と現代語訳(三) ~ 治承の辻風 ~

原文
また、治承四年卯月のころ、中御門京極のほどより、大きなる辻風起こりて、六条わたりまで吹ける事侍りき。
三四町を吹きまくる間に、こもれる家ども、大きなるも、小さきも、一つとして破れざるはなし。さながら平に倒れたるもあり、桁柱ばかり残れるもあり、門を吹き放ちて四五町がほかに置き、また垣を吹きはらひて隣と一つになせり。いはむや、家のうちの資財、数を尽くして空にあり、檜肌、葺板のたぐひ、冬の木の葉の風に乱るがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたたしく鳴りとよむほどに、もの言ふ声も聞こえず。かの地獄の業の風なりとも、かばかりにこそはとぞおぼゆる。
家の損亡せるのみにあらず、これを取り繕ふ間に、身を損なひ、片輪づける人、数も知らず。この風、未の方に移りゆきて、多くの人の歎きなせり。
辻風は常に吹くものなれど、かかる事やある。ただ事にあらず。さるべきもののさとしかなどぞ、疑ひ侍りし。
現代語訳
また、治承4年(1180年)4月頃、中御門京極の辺りから大きなつむじ風が起こり、六条のあたりまで吹いたことがありました。
三、四町を吹き荒れる間に、その範囲にある家々は、大きいのも小さいのも一つとして壊れない家はなかった。そのまま真っ平らにつぶれてしまった家もあれば、桁と柱だけしか残っていない家もあった。門を吹き飛ばして四、五町の先に置き、また、垣根を吹き払って隣と一つになる家も。まして、家の中にあった家財は一つ残らず空へ舞い、ヒノキの皮や屋根板などは、冬の木の葉が風に吹かれて乱れ舞っているかのようである。塵を煙のように吹き上げているので、まったく目も見えない。ものすごい音が鳴り響くので、物を言う声も聞こえない。あの地獄の業風であっても、これほどではあるまいと思える。
家が損壊したばかりでなく、その家を修理している間に怪我をして、不自由な体となってしまった人は数知れない。この風は南南西の方角に移っていって、多くの人の嘆きとなった。
つむじ風は常日頃から吹くものではあるが、こんなことがあろうか。ただ事ではない。しかるべき神仏のお告げであろうか、などと私は疑ったのでした。
