古典

【5分で読める】鴨長明『方丈記』のあらすじをわかりやすく要約

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日本三大随筆の一つである『方丈記』。

「方丈記」という作品名と、「鴨長明」という作者名は知っていても、方丈記の内容や鴨長明がどんな人物だったのかまでは知らない人も多いのではないでしょうか。

私もその一人で、歴史の授業で暗記した覚えがあるだけ。

方丈記をちゃんと読んだのは、30歳を過ぎてからでした。

鴨長明が生きた時代は、平安時代から鎌倉時代へと変わる激動の時代。

戦争に加えて、大きな災害も立て続けに起こり、京の都にある建物も人も、目まぐるしく変わっていきました。

そんな無常の世を嘆き、生きづらさを感じていた鴨長明の生き方は、不安な現代を生きるヒントになると思います。

今、世の中が生きづらいと感じている人に、ぜひ知ってほしい!

方丈記のあらすじを、5分で読める長さでわかりやすく要約しました。

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方丈記のあらすじ

冒頭 ~ ゆく河の流れ~

 川の流れは絶えることがなく、流れゆく水はいつも違う。水の泡は消えたり生まれたり、同じ場所に留まっていることはない。この世の人々も住まいも、水の泡のようだ。

 都にはたくさんの家が並んでいるけれど、昔からある家はほとんどない。火事で燃えて建て替えたり、大きな家が落ちぶれて小さな家になったり。人も相変わらず多いけど、昔から知っている人は2~30人に1人か2人。人々はどこから生まれて、どこへ死んでいくのだろうか。

立て続けに起こる災害

 40年余りの間に、常識では考えられないような出来事がたびたび起きた。安元3年(1177年)の大火災(安元の大火)では、都の3分の1が焼失。立派な豪邸も財産も、一夜で灰と化した。その3年後、治承4年(1180年)3月には巨大なつむじ風(治承の辻風)が発生。たくさんの家が破壊された。

 同年6月には急な遷都(福原遷都)が行われた。都を移すなんて簡単ではないはずなのに、天皇をはじめ、大臣や公卿、役人たちは次々に新都(福原)へ移っていく。旧都(京)の家々は解体され、新都建設の資材としてどんどん運ばれていった。しかし、福原は土地が狭く、都を建設するには十分ではなかった。結局、新都は完成することなく、同じ年の冬には京に戻された。しかし、京は既に荒れ果ててしまい、人々は不安でたまらなかった。

 飢饉(養和の飢饉)もあった。穀物がまったく実らなかった上、疫病も発生。道端には餓死した人の死体が無数に転がり、とんでもない悪臭が満ちている。京の中だけでも42,300人の死者が出たそうだ。さらには大地震も起こり、そこら中の神社仏閣が倒壊。大地が揺れ、建物が崩れる音は雷のようであった。前代未聞の大災害であったのに、何年か経つと忘れ去られ、口にする人もいなくなった。

生きづらい世の中

 世の中は生きづらい。もし、自分が取るに足りない身分で、権力者の屋敷のそばに住んでいたら、嬉しいことがあっても権力者に遠慮して心から喜べず、悲しいことがあっても声を上げて泣くことはできない。大富豪の豪邸の隣に住んだともなれば、自分のみすぼらしい姿をいつも恥ずかしく思い、隣人に嫌われないように媚びへつらいながら生活するようになる。

 もし、家が密集する都に住んでいれば、火事が起きた時に逃げられない。かと言って郊外に住んでいれば、都との行き来が面倒で盗賊に襲われるリスクも高くなる。資産を持てば、それを失うのが怖くなる。でも貧乏だとやりたいこともできない。世間に従って生きるのは苦しいけど、従わなければ狂人扱いされる。ああ、どんな場所で、どんな風に暮せば、この身、この心を安らかにできるだろうか。

 何もかもが生きづらい世の中を我慢し続けて、心悩ませること30年以上。思い通りにならないことばかりで、自分の運のなさを悟った。そして50歳の春に出家。妻子もいなければ、官位のある身分でもないのだから、何に執着することがあろうか、そうして大原山の山中に住んで、無駄に5年の年月が経った。

方丈の庵での生活

 さて、60歳という死に際に、小さな庵を作ることにした。広さは方丈(約5.5畳)、高さは七尺(約2.1m)。かつて住んでいた家と比べれば100分の1にも及ばない。嫌なことがあったらすぐに引っ越せるよう、解体して移動できるようにした。

 今は日野山に住んでいる。庵の北側には阿弥陀の絵像や法華経を置き、南側には和歌や音楽の本を並べ、琴と琵琶を置いた。東側には寝床もある。近くで水も薪も手に入るし、見晴らしも良い場所だ。

 読経に気が乗らない時は、サボってもうるさく言う人はいない。無言で過ごす修行をしているわけではないけど、話し相手がいないから勝手にそうなる。禁戒を破ろうにも、心惑わすものなど何もない。時には琵琶を奏でる。誰かの耳を喜ばせようというわけではない。一人で弾いて、自分の心を慰めているだけのこと。

 時々、10歳の少年が訪ねてきた。一緒に出かけて山菜を摘んだり、穂組みを作ったりした。天気が良い時は美しい景色を眺め、静かな夜は月を見る。蛍の灯り、山鳥の声、山中の情緒は四季折々に飽きることはない。

閑居の良さ

 日野山に住み始めた時は少しの間と思っていたのが、もう5年も経った。たまに都のことを聞くと、身分の高い人も大勢お亡くなりになられたそうだ。再三の火災で焼け落ちた家はどれだけあるだろう。仮の庵だけが安らかで、無事である。狭いと言っても、一人で住むには十分。世間の人々は妻子や主君、時には財宝や牛馬のためにまで家を建てるけど、私は自分のために方丈の庵を作った。広い家を建てたところで、誰を住まわせようというのか。

 人は友と言いながら、裕福な人と親密になりたがる。必ずしも情け深い人や正直な人を愛するわけではない。それならもう、音楽や自然を友とするのが一番だ。使用人が求めるのは待遇の良さであり、必ずしも人を大事にする主人につくわけではない。それならもう、自分の手足を使用人としよう。自分の手を動かし、自分の足で歩く。体は疲れるけど、人に頼んで気を使うよりは楽である。

 この世界は心の持ちようで変わる。心が安らかでない時は、素晴らしい宝物があっても意味はない。今の私は、方丈の庵での暮らしを愛している。他人が世俗にまみれていることを気の毒に思う。でも、そんなことを言っても、閑居の良さは実際に住んでみないことには誰にもわからないだろう。

終章

 さて、私の人生も残り少ない。仏の教えでは、何事も執着は禁物である。草庵での暮らしに執着するのも、このぐらいにしておくべきであろう。

 自分の心に問う。山に入ったのは、仏道修行のためだったのではないか。今のお前は見た目だけは清浄だが、心は世俗の濁りに染まっている。貧賤の報いで心が病んでいるのか、それとも妄心が極まって狂ってしまったのか。この問いかけに、心は何も答えなかった。

 時に建暦2年、3月の末日頃、方丈の庵にてこれを記す。

ぜひ方丈記の感想を教えてください♪

以上が方丈記のあらすじです。

私も仕事や人間関係がうまくいかず、社会に生きづらさを感じておりましたので、方丈記を読んで大変共感しました。

私はいわゆる「人間関係リセット症候群」で、今はほとんど人と会うことがありません。

人付き合いがないのは楽ですが、「社会でもっとうまくやりたかった」という未練もあります。

そのため、鴨長明が方丈の庵での暮らしを称えながらも、都への未練がひしひしと伝わってくる感じがまた共感できました。

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また、方丈記の全文を読んでみたいと思った方は、こちらのページをご覧ください♪

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【目次】鴨長明『方丈記』原文と現代語訳
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ティラノ芹沢
ティラノ芹沢
住宅街の小さな畑で家庭菜園と養鶏を楽しんでいます。メインは有機農法。自然栽培、放任栽培で育てている野菜もあります。うつ病をきっかけにフリーランスへ転身。お金よりも健康。半農半Xな暮らしを目指しています。
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